76日間漂流したスティーヴンキャラハンのその後や現在は?世界まる見え5月18日

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アメリカに住むスティーヴンキャラハンは、作家であり造船技師であった。そんな彼は1981年、ミニ・トランザット6.50という一人乗り小型ヨットによる大西洋横断レースに出場しました。

初め順調なスタートを切ったスティーヴンキャラハンですが、嵐に出くわしてしまい彼の船は沈水してしまいます。その結果、彼は救命ボートでの76日間の漂流を強いられることになります。

今回は、76日間漂流したスティーヴンキャラハンのその後や漂流生活の経緯についてまとめました。

スティーヴンキャラハンの76日間の漂流生活の経緯

スティーヴンキャラハンは、1952年にアメリカで生まれました。彼は、大学を卒業すると造船技師になり、ボートの設計や様々なレースに参加しました。

そして1981年にアメリカのニューポートを自身が設計したヨット「ナポレオン・ソロ号」で出発し、大西洋横断レースに参加するためイギリスのペンザンスを目指しました。イングランドを経由し、再度イギリスに向けて出発しますが悪天候に遭遇し、ナポレオン・ソロ号はひどく損傷します。

この時は、沈水することはなくスティーヴンキャラハンは船旅を続けます。船の修理も行い、彼は1982年1月29日にスペインのカナリア諸島を出発します。

しかし7日後、嵐に遭遇。

その夜、何かに衝突し船には大きく穴があきます。おそらく、その何かはクジラだったと彼は述べています。

結果として、彼の愛船は沈水することになり幅が2メートルほどの救命イカダに乗り移り漂流生活を余儀なくされます。

彼は、ナポレオン・ソロ号に積んでいた食料や槍、蒸留装置などを引き上げました。そして彼は、引き上げた食料を使い果たしてしまうと、飢えと渇きに苦しむことになります。

しかし、彼は即席で雨水を集める装置を作ると蒸留装置を用いて、飲み水の確保に成功します。また槍を使い、救命イカダの近くを泳ぐシイラを捕まえることで食事を確保しました。

飢えと渇きに困ることは無くなり、次は救助を待つことになります。しかし、スティーヴンキャラハンは閃光弾を使用したり、無線装置などで救助を求めるも繋がらず、救助の手が差し伸べられることはありませんでした。

彼は、救助に頼ることは現実的ではなく、この救急イカダ上での生活を続けることしかないと悟りました。そして船の修理や食料の備蓄を行い、生き延び続けました。

先の見えない船上生活を続けていた1982年4月21日、彼の救急イカダのまわりにはいつしかシイラ達が群れを成すようになっており、それを狙った海鳥たちが集まっていました。

なんと、その海鳥たちをある漁師が発見し、良い漁場ではないかと遠出することにしました。そこで、救急イカダに乗っていたスティーヴンキャラハンを発見し、無事に救出されるのでした。

救出された彼は、衰弱しやつれていました。そのため病院に搬送され療養することになりましたが、無事に生還することになりました。

スティーヴンキャラハンの漂流生活のその後は?

療養し普段の生活をとり戻したキャラハンは、自身の体験を『大西洋漂流76日間』として出版することに。

結果として彼の書籍はニューヨークタイムズ紙に、37週間以上載る程のベストセラーにもなった。

その他に、アング・リー監督による映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』では顧問を務め、自身の体験を生かし、漂流生活への表現へのアドバイスや制作協力を行った。

まとめ

・スティーヴンキャラハンはアメリカの作家、造船技師。
・大西洋横断レースに参加し、嵐にあったことから漂流生活へ。
・76日間の漂流生活を経て漁船に救助される。
・自身の著書『大西洋漂流76日間』がベストセラーに。

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